• 掛川城

大手門

大手門

大手門おおてもん番所は、城の正門である大手門の内側に建てられ、 城内に出入する者の監視や警備をする役人の詰所です。
嘉永7年(1854)の大地震で倒壊後、安政6年(1859)に再建されたのが現在の建物です。
大手門に付属した番所が現存するのは全国的にも珍しく、昭和55年(1980)市の文化財に指定されました 。

掛川城

室町時代中期の文明(1469年 - 1487年)年間に守護大名・今川義忠が、 重臣の朝比奈泰煕に命じて築城 したと伝えられている。戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、 拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。 朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、 現在見られる城郭の構造の基本的な部分は 安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。

掛川城

武者鎧

武者鎧

日本の甲冑・鎧の形式の1つ。馬上で弓を射る騎射戦が主流であった平安 - 鎌倉時代、 それに対応すべく誕生・発達し、主に騎乗の上級武士が着用した。
地位が最も高い正式な鎧とされ、 室町時代ごろには式の鎧、式正の鎧(しきしょうのよろい)、江戸時代には本式の鎧と呼ばれた。 あるいは胴丸や腹巻などと区別して、単に鎧ともいう。また古くから着背長(きせなが)という美称もあった。

御殿

儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務などに使用されていた掛川城御殿。
掛川城御殿は二の丸に建設された江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿としては、 京都二条城など全国 でも4ヶ所しかない貴重な建築物です。昭和55年に国指定の重要文化財に指定されています。

御殿
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