岡崎城の起源は15世紀前半まで遡ります。
明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼) によって築城されたのがそのはじまりです。
その後、享禄4年(1531) に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになりました。
門番
竹千代物語
天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生しました。
家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしましたが、
永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立しました。
ときに19歳。
以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めました。
岡崎城
岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市康生町にあった城。
徳川家康の生地である。
別名、龍城。 戦国時代から安土桃山時代には徳川氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。
八丁味噌
米麹や麦麹を用いず大豆のみから作られる豆味噌の一種であり、赤褐色の辛口味噌である。
名古屋圏では「味噌汁」といえば八丁味噌を用いた赤い汁のものが一般的であり、
米味噌を用いた味噌汁のことは「白味噌汁」と言って区別している。
長期熟成され、 うまみが多く独特の渋みがあり、甘みが少ないのが特徴。 戦時中、贅沢品として製造禁止の危機があった。